10月20日


ありママの独り言のページ

お引っ越ししました^^



6月10日


高畑敦子と息子。
高畑敦子と父。

そうなのかぁ…

参ったなぁ。

泣けてきた。



2月8日


もうずっといい事なんてない年が続いてるけど、それでも生きていればいい事もある。

そう思えた日。

夜中1時半ごろ「陣痛が来てる感じだからこれから病院行って来るね」と携帯にメールが入る。

朝になっても連絡が来ないという事は今頃頑張ってるんだろうな。
忙しい仕込みの中、ありすの厨房から「頑張れ!」と心の中で祈るばかり。

お昼前、娘の連れ合いの携帯に電話して様子を聞く。
「かわいそうで見てられない」
そりゃそーだ。男の人はどうする事もできないからね。

なかなか破水しないので助産婦さんに破水させてもらったようだけど、、、様子見らしい。

病院へ行ってくるね、のメールから時計の短い針も一周してしまった。

それから何時間たっただろ。
娘の連れ合いの携帯電話から着信アリ。
でも、声の主は産み終えて間もない興奮さめやらない娘からだった。

「産まれたーっ!」
「あぁ、よかったよかった、よく頑張ったね」
「お母さん、あすかを産んでくれてありがとう!ホントにありがとう!」

なんだかいろんな今までの辛かった事とかが、一気に吹っ飛んだ瞬間、だったような気がする。

長い時間大変な思いをして産んで、自分もこうして産まれて来たんだって実感したんだろうな。
それをすぐに直接伝えたかったんだろう、きっと。

言葉では言い尽くせない、言い表せないくらいの嬉しくて幸せな贈り物。

孫が産まれた事はもちろん嬉しい。
でもまだその時は実感はなかったし。
無事産まれたという安心感のほうが大きかったんだと思う。

多分、これからの成長する日々の中で可愛く、愛おしいと感じるんだろうなって思った。

それよりも、一つの命が誕生した事の素晴らしさ。
我が子を産んだ時の感動とはまた別のもの。

幸せな事に私は子供を授かる事ができた。

自分が産んだ娘が子供を産んだという事に何よりも感動したんだと思う。
そして「産んでくれてありがとう」の言葉。
とても“感慨深い”一日。

生きていればいい事もある。



1月15日



2011年の年明けは、またしても梓水神社へ初詣に向かった車の中でした。
神社に到着した瞬間、車中に流れるラジオからカウントダウンの「3・2・1・おめでとー!」の声。

長い階段をのぼってお参り。

今年こそは、今年こそはと願い、思い続けて、もう何年経つでしょう。

それでもやっぱり今年もそうお願いしました。

そして何よりも健康で笑って過ごせますよう。