父は死ぬまで子離れ出来てなかったって母が言っていた。
一人娘の私はそれをひしひしと感じていたんだよねぇ。
小さい頃からずーっと。
結婚して私が親になっても。
父が亡くなるまでずーっと。
小さい頃からずっと、甘えられなかったしね。
だからとっても淋しかった。
だけど父も淋しかったんだろうと思う。
父が愛情を注げば注ぐほど私は離れようとしてたから。
とっても窮屈に感じてたから。
体を悪くしてからの父の壊れかたは凄かった。
言葉の攻撃に、正直、母も私も参っていた。
歳をとったせいなのか、健康を害したせいなのか
それとも、心配かけてる娘のせいなのか
とにかく人が変わったように
どんどん壊れていった父。
ホコ先は母と私にだけ。
他人様にはいい人。
ますます私は父を受け入れられず。
でも、父は突然逝っちゃったんだ。
二度目の心筋梗塞の発作。
電車の中で。
なんかあっけなかったょ。
結局、最後まで淋しい親子関係のままだった 気がする。
きょうは祥月命日。
父が逝って5年。
来年はもう七回忌。
私が山を歩く、山を登るなんて、思ってもみなかった。
だって、運動きらい、体動かすのきらい、疲れる事きらいなんだから。
それがどうしたことだろ。
自分でも信じられない。
今年になって、体が弱い自分のために始めたお散歩。
体が弱い…誰も信じてくれないけど(^_^;
それがいつの間にか、お山に登りたいと思い始め。
標高1400m 充分 お山の住人なのに
更に上へ登りたいと思い始めて
登った。
そしたら、また登りたいと思い
自分の居るお山のてっぺん3026mに登り
しかもあろうことか
バスに乗っちゃえば簡単なのに
登山道という私にとっては未知なる道を(シャレじゃなく、笑)
歩いて下って。
カウベルと鈴のダブル使いのクマよけ。
リュック
水筒
カメラの望遠レンズ
ネルのシャツ
今回は持って来なかったけど
アイゼンやステッキだってある。
登山靴はちっちゃくて履けなかったから、靴だけは買ったんだ。
生前、元気だった頃、カメラを持って山歩きをしていた父が使っていたものばかり。
処分せずに実家の母が取っておいた。
誰も使うはずもないのに。
だけど今 父が使っていたものを身につけて
アタシは山を歩いてるんだよねぇ。
無意識に父を感じながら山を歩いてるのかも知れない。
とっても心地いい。
あんなに窮屈に感じていた父の想いも
今 私は 守られてる
そんな気がする
そう思える
なんだか不思議な感じ
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