12月31日
今年も急ぎ足で大晦日がやってきました。今年も落ち込んじゃう事も沢山あったし、泣き暮れた日が何日もあって辛い時もあったけど、沢山走れて、沢山美味しいものを食べて、いろんな人から沢山元気をもらえて、幸せな事の方が沢山た〜くさんあったから、とってもいい一年でした。今日、年越し蕎麦を食べたら、いろんな人にいろんな事に感謝しながら初詣に行ってこようと思います。そして来年も健康で幸せだと思える1年でありますように。


12月18日
何かが壊れてる。絶対に壊れている。


12月13日
 よ〜く考えてごらん、結局自分で自分を苦しめてる・・・またやっちゃった・・・自分の想いとまるで違うふうに、それもワザと言ってしまう。それでいつも悔やんで、結局自分が息苦しくなっちゃう。自分に素直でいたいって1年前に自分に言い聞かせたくせに。。ほらっ!また意地っぱりの自分が出てきた。これがイヤだから自分に正直にって誓ったのに。
今日は朝から雪がさんさんと降ってた。いくら春が待ち遠しくても、やっぱり冬は、どうせ寒いなら、地面も景色もぜ〜んぶ雪に囲まれてるほうがいい。真っ白い雪はなぜか心がホッとする。でも夜は雪空じゃ淋しすぎるから満点の星空にしてほしいな。



12月8日
 また真っ白い世界に包まれて、まだ冬は始まったばかりだというのに・・春が待ち遠しくなる季節になりました。今年も一人でふらふらと走り納めのロングツーリングに行って来ました。帰ってきてからF3をきれいにしてあげなきゃって、ずっとお天気のいい日を待っていたけどなかなか洗車する事ができず、でもようやく?無理矢理(^^ゞ数日前に極寒の雪の上で8日間の汚れを落とし、7ヶ月間の感謝の気持ちを込めてきれいにみがいてあげる事ができました。倉庫に入れてカバーをかける時「春になったらまたね」ってF3に話し掛けてる自分が、自分でいうのもなんだけど・・・・そんな自分がとっても好きでいられた瞬間でした。


11月17日
落ち着かない、落ち着かない。今日の空は真っ白。私の頭の中も真っ白。


11月14日
取り敢えず朝から一日出かけてみた。でも見つからない。見つかるはずがない。
夜は空を見上げてみた。今日の夜空はとーってもきれい。たくさんの星たちがキラキラ輝いていた。流れ星がひとつ、ふたつ・・でも願い事がたくさんありすぎて、欲張りすぎて、結局何をお願いしていいのか迷ってるうちに消えちゃった。久しぶりに見たきれいな星空。空って広いなぁ。


11月13日
よしっ!気合を入れよう!入れなきゃ!


11月4日
抜けるような青空、まるで画用紙いっぱいに絵の具で塗ったような真っ青な、きれいな青空。少し風が強い。でももう落ちる葉っぱはなく、裸ん坊のカラマツ。地面にはカラマツのジュウタン。空を見上げると白い雲のかたまりが真っ青な空にポツンポツンと浮かんでいる。そうかと思えば、みるみるうちに白い雲は流れされて・・・小さい頃、父が指で頬をつつきながら「ぽっ、ぽっ〜」ってタバコの煙を魔法のように輪っかにして口から出してみせてくれた、あの時の煙に似ている。白い雲は風に流されて、あの時のタバコの煙のように空に消えていった。あぁどっか行っちゃった。又、きれいな真っ青な空を見上げていたら今度はアッという間に灰色の空が押し寄せてきた。空が怒り出したんだ。そして白いモノを空からたくさん落とし始めた。初雪だ。全然積もりそうにはない雪だけど、いっぱいいっぱい空から雪がひらひらと落ちてきた。そうかと思うと、さっきの灰色の空は又いつの間にか、きれいな青空に戻って、でも雪は相変わらず舞っている。そうかっ、急に空が怒ったわけじゃないんだ。「もうすぐでボクの出番だよ」って冬を知らせに来たんだ。そしてそのあとも次から次へといろんな顔を見せた空・・・今日はそんな一日。


10月29日
カラマツの葉が雪のように燦々と落ちる頃になりました。そしてありすから県道に続く小径はカラマツの葉のジュウタンでびっしり。山の水を引いているありすはお米を研ぐのがちょっぴり辛い時期です。これから冬にかけてはもっともっと・・・氷水に手をずっと付けてる、そんな状態です。外に置いてある大きい冷蔵庫の温度計も、夏は扉を開けるとアッという間に温度が上がってしまってたのに、今は4度、開けても変わらずです。時間がある時はチョコっとバイクで走りに行ける秋、そんな時間がこのままずっと続けばいいのに。楽しい時間は本当に早く通り過ぎていってしまうものです。きょうは朝うっすら霜がおりた、きょうは紅葉が又、下におりた、きょうも山頂で雪が降った、スーパーに行くと漬物の大きな大きな樽を売り場で見かけるようになった、きょう野沢菜の菜っ葉を注文した、きょうは吐く息が白かった、きょうバイクに乗る時きのうより1枚多く重ね着をした、今は燦々とカラマツの葉が落ちてるけど、そのうち落ちる葉さえなくなり裸になるカラマツ、まぎれもなく長い冬が近いづいて来ているのを日に日に感じる今日この頃。


10月26日
この秋の私はとにかく走ってる(^.^)v 銀行に、買い物に、と毎日用事を作っては足を延ばしてツーリング。松本行くにも野麦峠経由だったり、開田高原経由だったり、木祖、薮原etc.・・。新蕎麦の時期ですもの(^.^) きょうも松本に買出ししに。もちろんF3で、、タンクバックの中には「500mlのヨーグルト6パック」「お味噌1kg」。そして後ろには「牛乳1L×2本」「ジュース1L×4本」「キャベツ1ヶ」「きゅうり10本」「玉ねぎ3Kg(10ヶ)」をネットでククリ付け、リュックの中には「レタス4ヶ」「トマト4ヶ」。途中休憩用にと「コーヒー」と「シュークリーム1ヶ」をウエストバックに入れて(笑)・・・帰り道、奈川村の見晴らしの良い所で山々を見ながら食べました(^.^)v
そして帰宅して荷物をぜ〜んぶおろして厨房の配膳台の上に広げてビックリ!!よくもこんなに持って帰って来られたモンだ、と。ロングツーリングと同じ位の荷物だったかも知れない・・・そういえば行く先々で声をかけられたゾ。「一人で?」とか「どっから来たの?」とか「どこまで行くの?」とか(笑) ナンバーが前の住所のまんまだから松本でなく「相模」なんだよね、だから余計に。ナンバー・・・実家のじいちゃん(父)の名義にすれば「湘南」になる事は前からわかっていた。「すもう」と読み間違われやすい「相模」より「湘南」の方がいいに決ってると、ミーハーな私は思ってたけど、この2年位は逆に相模や湘南より「松本」の方が渋いゾ!と思うようになり、それなら早く手続きを、な〜んて思ってるうちに、最近は「相模」このままでいいやって思うようになってきた私です。
だって今日もそうだったけど、地元やその周辺を走っていてもナンバーが「相模」だから皆声をかけてくれるんだよね。若いお兄さん、おじいちゃん、おばあちゃん、小さいお子ちゃま、オジちゃん、オバチャン。「どこへ行くんだい?」「どっから来たの?」「一人で・・気をつけるんだよ」って。とってもとっても嬉しい瞬間なんだな、これって。だからこのままがいいかなって思える今日この頃。ドカの税金・・・毎年実家に請求いっちゃって、ゴメンネ!じいちゃん、ばあちゃん(^^ゞ


10月9日
紅葉がきれいな季節になりました。精一杯頑張って私達の目を楽しませてくれようとしている・・そんなきれいに紅・黄葉している樹木も素晴らしいけど、木の下に一面紅葉したあとの葉っぱが落ちている・・そんな風景の方が好き、かな。紅葉したあとの葉っぱはちょっと色が濁っちゃうけど、そんな落ちた葉っぱたちを見てると「よく頑張ったね」って声をかけてあげたくなるくらい、ちょっぴり淋しく切ない気持ちに、、なりませんか?


10月5日
おしつぶされそうな想い


9月17日
久しぶりにケーキを焼きました。気が向いた時にケーキを作ってスポンジが上手に焼けた時とか、トマトソースが美味しくできた時って、すっごく幸せ感じるんですよねぇ〜)^o^(


9月1日
いろんな人との出会いってとっても楽しみ。20代の頃はそんな事何にも考えてなかったけど、縁あって関わる事ができた人とはちゃんと真剣に向き合っていきたいって思うようになった30代後半。それまで取り立て何も考えてなかった自分はまるで宝物をどんどん捨てていたような気持ちにさえなってしまうけど、歳追うごとにわかる事ってあるし、まぁいっか(^.^)という事で。
でもちゃんと受け止め、逆にぶつかっていこうとすると、とっても切なく、辛く、やりきれなくて傷つく事も・・・涙を流す事もあるけど、それでも人と人とのつながりって大切にしたいって思う、かな・・・そう思う○○代前半・・○○?バレバレだね(^○^)


8月16日
「ことば」って言い方によっては全然違う意味になってしまったり、話し手の意図する事が聞き手には違う意味でとらえられていたり、時には人を傷つけたり、もちろん反対に幸せな気持ちにもなったり、いろ〜んな意味で、とってもとっても奥が深いものだと思うのです。
でもそういうのとはちょっと違う、実際にことばにしないと伝わらない、言わなくてはいけないことばってあると思うのです。挨拶はもちろんだけど、たとえば「ありがとう」「ごめんなさい」「お願いします」・・・そういう当り前のことば。少なくとも私の中では勉強や仕事ができる事よりも、挨拶やそういうことばって当り前の事、基本的な事として受け止めてきた、かな。
 ちょっぴり優しくなれた気持ち・・・それに対しての「ありがとう」というたった一言で救われる事ってあると思のです。たったその一言で、もっともっと優しい気持ちになれるし、頑張ろうっていう気持ちにもなれるし、情や思いやりだってお互いに生まれる。「お願いします」そのたった一言に、気持ちよく素直に受け止められ、「ごめんなさい」の一言で胸のつかえがスーっと下りるようにとっても優しく穏やかな気持ちになれる。そういうことばを言ってもらいたいと最初から願ってなんてもちろんこれっぽっちもなく、もともとは何気なく自然に生まれた思いやりの気持ち。
でもそれに対して相手からことばもなく、誠意も感じられなかったとしたら?・・・ちょっぴり優しくなれてたはずの自分が、もう二度と・・!って不愉快な気持ち、いつの間にか意地悪な気持ちになってしまっている自分に、何の反応もない相手を責める事よりも、意地悪な気持ちになってしまっている自分にすごく自己嫌悪。
毎日暮らしていれば嫌な事だってある、ある程度我慢しなきゃならない事だって一日の中には沢山ある。けど何て言うんだろう・・・こういう人と人とのつながりの根っこの部分で、一回や二回でなく、こういう事がちょっと続いてしまうと、さすがに。。。久しぶりに頭に血がのぼった日でした。というよりも情けない気持ちになってしまったかな。。。マイペースでボケーっとしてる私だって時には怒りたいよ!って、冗談じゃないよ!って叫びたくなってしまった夜でした。人と人との付き合いってこんなもん?それって淋しいよね。


7月10日
話しを聞いてもらったり一緒に悩んだり・・そうじゃなくてその人のいつもと変わらない笑顔やその人のいつもと変わらない何でもない事に触れるだけで勇気づけられる事って、あるよね。誰かの笑顔で元気になれる事って、あるよね。


6月14日
チヂミを初めて作りました。韓国風のお好み焼きっていうヤツです。でもチヂミというものを食べた事がないので元々どういうものかがわからずに作ったから、な〜んか変!美味しいのかこういうものなのか。でも食べた瞬間家族全員「普通のお好み焼きの方がいい!」って。その割にはボウル一杯の具をぜ〜んぶ焼いてたいらげてしまいましたけど。もう一回チヂミに挑戦してみようかなぁ。


6月1日
衣替え・・なんだか懐かしいひびき。衣装箱からこれから始まる季節の洋服を出して、外で干したり洗濯し直したりして、いつも使っているタンスに入れる。そして今までお世話になった洋服たちをきれいにたたんで衣装箱にしまう。衣替え・・この数年なんだか毎日忙しくて(きっといい訳、多分いい訳、絶対いい訳)衣装箱とタンスを行き来する衣類たちがだんだん少なくなってきたような気がします。一年中夏物がタンスの中にあったりスキーウェアーがずっと出ていたり(^^ゞ
でもね、ちょっぴりいい訳・・・お盆を過ぎると秋風が吹く乗鞍は半袖になる期間ってとっても短いし、5月や8月に山頂に上がらなくてはいけないイベントにはやっぱりスキーウェアーが必要だし、夏でも寝る時には布団は必要だし、6月に入った今日だって半袖では寒いし、、、(^^ゞやっぱり一年中出てる方が便利なんですよね。でもその洋服たちは一体何処へ???当然私たちと一緒に、いえいえ、その中で私達は毎日暮らしているわけで(^○^)
でも、でも、時々思うんです。「気持ち」も洋服たちのように出し入れできたらいいなぁ〜って。嬉しい箱、幸せな箱、悲しい箱、涙の箱、いろ〜んな箱があって、辛い事があったら悲しい箱に気持ちをしまって、幸せな箱をちょっと覗いてみる。そんな事ができたらいいなぁ〜って。



5月25日
きのう思わぬところからメールが届きました。ポストペットって一時流行ったでしょ?ペットを育てながらそのペットがメールを運んでくれたり運んで来てくれたりするアレです。私のプライベートのメールアドレスがそれなんですけど私の場合は犬で名前は「ドカチン」っていうんです。 性別は男のコ、つまりオス 。運んだメールは数知れず。血液型は雲竜型らしい。そして育ての親はドカというバイクに乗っているありすのママ、そう!私。それで昨日「今日はなんの日?」というSubjectでメールが届いたわけです。ドカチンから。内容はいろいろ書いてあったけど、要は昨日私の誕生日でおめでとーのメッセージ。だんだん歳を重ねるごとに直接「おめでとう」の言葉って意外にないもの。だからたとえメールくれたのが実在する人物ではなくったって、たとえそれがどっかの企業の回し者?だったとしても、な〜んか妙〜に嬉しくなっちゃった私でした。やっぱりこの歳(?)になっても嬉しいものなんだなぁ。そんな私はまだまだ考えがお子ちゃまなのか、それとも淋しい人?・・・いやいや「淋しい」は違いますね。楽しんでる私としては(^^) さぁて!久しぶりにティラミス作ろっか(^Q^)


4月20日
占いによると私の明日は「わいてくる食欲に逆らうことなく、何でもガツンと食べるべき日。食べるときは食べる。これが健康の基本」だそうだ!よーし食べるゾーーー!!


4月10日
春になりました。やっとバイクに乗れる、そんな季節。きのうはTTで走りに行ってきました。とっても気持ち良かったです。けど、けどひとつだけ難点が。。。バイクから降りてヘルメットをとると、きったない私の顔。あのトンネルの中走るって事はこういうことかぁと思いつつ、パンダのような黒い顔、おまけに鼻まで真っ黒、なんとかならないのかなぁ。オフの単車にオンのメットじゃ〜ちょっとアンバランスだし〜。私も一応女性のはしくれ、あの顔じゃちょっと恥ずかし(^^ゞ オフに乗ってる人ってみ〜んなそうなのかしら。


4月5日
久しぶりに家族で旅行ができました。記憶を辿ってみたら家族揃っての旅行って4〜5年ぶり、もしかしたらもっとかも。いつもいつもそれぞれが忙しくしていて、子供達が大きくなるにつれそれは尚更で、皆が揃っていける日って本当にないもの。そうこうしているうちに一番上のお姉ちゃんは来年の春には高校へ通う為にこの家を出ていかなくてはいけない、そんな歳になってしまいました。家族毎日一緒にいられるのもあと一年。子供達を見ていて本当に楽しいってこの1年程特に思ってた私。前はきっと子育てに追われて、もちろん今も、これからもずっと子育ては続くんですけど、身の回りの世話とか自分があれこれ世話をやいているうちは無我夢中で余裕も全然なかったけど、心のゆとりのようなものができたのかなぁ、よ〜く子供達を見て子供達の会話を聞いていると毎日本当に面白いです。とっても幸せ。だから今回の旅行で一番嬉しくてたまらなかったのは私かも知れません。お姉ちゃんは来年家族と離れ、真ん中の息子はきょうから中学生、末っ子の息子も来年続いて中学生。今はきょうだい3人冗談言い合いながらゲラゲラ笑っていられても、下の2人は男の子だし、もしかしたら中学になって家の中では無口になったりするのだろうか、とかいろ〜んな事考えたら、今のこの楽しくて幸せな時間っていつまで続くのだろうって母としては複雑な想いもよぎったわけです。民宿の一部屋にお布団並べて家族みんなで寝られた事、車の中の子供達のはしゃぐ声、ご飯を食べてた時もお風呂に入った事も、子供達と一緒に過ごせた時間は本当に本当に幸せでした。安房峠をちょっと超えて海の幸を食べに、ってホントにささやかな旅行だったけど、そういうのでいいからまた家族揃って旅行できるといいなぁ。


3月16日
今日もティラミスのお話し(^^) 
私の周りはみーーんな風邪ひきさん。ちょっと私も今日のどが変、やっばー!
でもそんな事お構いなしに、ちょっと気晴らしに?松本へ。もしかしたらじっとしてれば良かったのかも知れないけど、でも行ってよかったぁ(^^)何気なくお菓子専門の材料屋さんに行ったら見つけちゃったんですぅ、マルカルポーネを!もうラッキー!!)^o^( 私が行く時はいつもないんだもん。イタリアから日本に輸入されてそのお店に到着してもすぐに売れちゃうんです。でもきょうはあったんだなぁー。でもでももう2コしかなくて思わず買い占めちゃった。レジに持って行ったら「ちょうど今日入ったばかりだったんですよ、よかったですねぇ」って言われちゃった。相当私嬉しそうな顔してたかな。フィンガービスケットもあったし。もう超ラッキー!
今まではホンモノの材料がなくてもそれでも美味しいのを作ってやるぅーーって手変え品変えで頑張ってたんだけど、一度はちゃんとした材料で作ってみたかったから。やったね、明日はティラミス〜♪


3月11日
今ちょっぴり凝っている、というか〜はまってる事があります。それは「ティラミス」 いろんな材料を少しずつ替えて挑戦してます。まだ自分の中で納得がいかないので自分のモノになるまで頑張ってみようと思ってます。う〜ん、頑張るというよりも自分としては楽しんで作ってるので「頑張る」とはちょっと違うかな。それに試食?している子供達もなくなるたびに「また作って!」の声が今のところあがってるから、とりあえずヨシとしてます。「また作ったの?」の声にどうか変わりませんように(^^ゞ
バイクに乗れないスキーシーズンの私のストレス解消法の一つかな、ケーキ作りは。結局今シーズン一度もスキーしてないや。


3月1日
いつもよりちょっぴり優しい気持ちに自分がなれたとしたら、いろんな事を、物事をとってもおだやかに見る事ができたり、そう感じる事もできる。おだやかで優しい気持ちを、、それはいつもよりほんのちょっぴり、そう心に思う事で自分にとっての今日一日が全然違ったりするって事、ないですか? 日本人は信仰心がなさすぎるってよく言われてるけど、きっと私もその内の一人。でも、えーーっと誰の教え?言葉だっけか・・・『自分を中心にするから苦しむのです』ってどこかで見たか聞いた事があって。。。あぁその通りだなってその言葉に出会った時はえらく感動してしまってそれ以来その部分だけはしっかりと頭の中に残ってる私です。
おだやかで優しい気持ちで新年を迎える事ができたらいいなって、新世紀に向けて、そうひとり言のページにも書いたけど今もやっぱりそう思う。『おだやかで優しい気持ち』・・・これは私にとってずっとずっと、心の中に頭の中においておきたい事かな。。


2月16日
急にミシンが踏みたくなりました。(踏むってちょっと古いかな) 料理は毎日作ってるけど何かモノを作るって最近してないなぁって思います。たっぷり時間がないとつい億劫(おっくう)で。。。ベルトの足踏みミシンの時は常に部屋の隅に置いてあっていつでもミシンが踏める状態だったけど、今のは持ち運びできるしコンセントさえあればどこでもできて便利だけど重たいから「よいしょっ!」って出して運んでセットして、、あぁこれがなかなか(^^ゞ のれんを新しく作り変えようと決心してから既に2週間が経ってしまいました。来週こそは。


2月10日
一通のメールが届きました。一度もお会いした事もなければ顔も名前も、もちろんネット上でも何の面識もない人でした。でもそのメールは私の心をほんわかとあったかくしてくれました。懐かしい想い出が一杯詰まってました。東京の小学校へ入学してから神奈川に引っ越す3年生の2学期までのいろ〜んな想い出。4畳半一間のアパートで暮らしていた事。アパートの真ん前の銭湯に毎日通っていた事。近所のお友達20人くらいでメンコ、コマまわし、鬼ごっこ、かくれんぼ、馬乗りで毎日暗くなるまで遊んでいた事。図書館によく行っていた事。歩道橋を渡って学校へ通っていた事。近所のお友達とは別に一緒に遊んでいた同級生の男の子の事。彼は障害を持っていて皆と一緒に遊ぶ事がなかなかできなかったのです。今思えば彼が何の障害を持っていたかって実際のところはわかりません。私が子供だったって事もあるけれど、そんな事はどうでもよかった気がします。鉄道が大好きでその子のお家にはいろんな電車のミニチュアがたっくさん並んでいました。それを嬉しそうに見つめて駅の名前を順番にいつもつぶやいています。山手線、中央線、それだけじゃないんです。私には鉄道の事、よくわからなかったけど、「すごいなぁ」っていつも思ってました。電車のミニチュアを走らせて嬉しそうに見つめながら駅の名前をず〜っと言い続けているその子を見ているのが大好きで、ただそれだけで、彼のお家によく遊びに行っていました。今どうしてるだろう。。

その頃の私達の担任だった泉先生。なぜか他の先生は誰一人として覚えていないんです。それくらい私にとって大きな存在、それは今になってもそう。今の先生にはない厳しさと優しさがあって、「威厳のある」って言葉がぴったりだった先生。勉強よりももっともっと大切なものを教えてもらったし、それは大人になった今、活かされているかどうかは別として(^^ゞ先生の魂は私の中でちゃんと生きています。

私が神奈川の学校に転校してから大人になってもずっと年賀状だけは毎年欠かさず、、、先生の字は先生そのもので堂々としていて毛筆で書かれていました。それは先生がお亡くなりになってご家族のかたから知らせを頂くまで続き、いつかはこんな日が、って思ってたけどその時は本当にショックだったな。当時、真っ白くフサフサの髪の毛で、「オーデコロン」のようなものをつけていた先生。幼かった私だけどそのにおいは泉先生のにおいとして今でもよ〜く覚えています。

毎日の生活の中で雑巾を洗う時、今でもその先生の事を思い出します。
小学校1年生の時に雑巾の洗い方、絞り方を教えて頂いた事、これだけはあの時の光景が今でも鮮明に思い浮かびます。昇降口でバケツの前にちょこんっと私が座って、バケツをはさんだ向こう側で先生が「いいかっ!雑巾っていうのはこうやって洗って、こうして絞るんだゾ」って。。。おかげで私は雑巾をちゃんと洗えて、ちゃんと絞れる大人になりました(^^)
#意外に少ないですヨ、しっかりと洗えて、しっかりと絞れる人って。

先生は私が今まで生きてきた中で自分に影響を与えてくれた人、心に刻まれている人のうちの大切な一人です。


2月3日
我が家の子供達の洋服はいつもお下がり。だから娘はクリスマスプレゼントは新しい洋服を買って欲しいって言いました。お下がりで頂いて着られる洋服は沢山あるけれど、年頃の娘だもの、気持ちはとってもわかるので買いに行きました。年明けてもう2月になっちゃいましたけど(^^ゞ かなり、かなり遅れたクリスマスプレゼントです。行き先も我が家らしい「ファッションセンター○○○○」です(笑) 娘「ねぇこれ試着してきてもいい?」 私「オーバーみたいなものだったらいいんだろうけど、そういうのはいいのかなぁ」 娘「お母さんオーバーってなに?」 あれ?オーバーって死語?
あぁーー気にしない!気にしない!きょうは節分。豆まきしましょ!(今年もまた食べる豆の数が増えたって事か)


1月26日
 あぁーー自己嫌悪。。。こんな時は空を見上げる。真っ青な空だったら嬉しいし、夜だったら星が沢山みえたら少しは気持ちが楽になるかなっていつも思う。そして今、夜空を見上げた。星は見えなくて、空から真っ白い雪が次から次へと落ちてきた。この雪空はどこまで続いているんだろう。切なくて空を見上げたら余計に切なくなっちゃた。


1月7日
 21世紀になりました。そしてきょうはもう七草です。七草粥を食べている家庭って今どのくらいあるんでしょう。おせち料理もだけど、そうした昔からの風習がだんだんとなくなっているというのは、楽ではあるけれどどこか淋しいですね。今の子供達、これからの子供達はきっとその名前自体も知らないって事になるんだろうな。それを思うとたとえ自分の家で作らなくても今の世の中にはちゃんとお重に入ってできたおせち料理が何千円から何万円までとピンきりであるけれど、それもいいのかも知れないって思ったりもします。
結婚が決ってからは、とかくそれまで無縁だった親類とのおつきあい。いろんなお祝い事とか人寄せとか、そういうものってその土地土地でいろんな独特な風習・やり方があって。正直言ってわずらわしかったけど、今思うと大事かなって。省けるところは省いて、なんて言ってたら何もなくなっちゃったなんてそれもどうかなって。
自分が子供達に残してやれるものって考えた時、たくさんありすぎて自分が生きてる間にちゃんと伝わるだろうかって心配になったりもします。だって時間や月日ががかかって初めてわかるって事、たっくさんあるから。お金よりももっと大切なものを残してやりたいって思うけど、きっとそういうもの、子供だけじゃなくて自分達を含めた今の大人たちにも求められているような、、、そんな気がします。

何が常識かって日々疑問に思う事たくさんあるけれど自分なりにしっかりと歩いて生きたいな。片意地張らずに自分に素直でいたい2001年。