11月24日

押し入れを整理してたら、某ディーラーで整備士をしていた若い頃のオーナーのツナギが何枚か出てきた。
今そのツナギを息子が着てる。
父親のツナギを着て、毎日仕事に出かけてる。
そんな息子の姿が母嬉し。



10月25日


この間、実家から一人で帰って来る時、車の中で、ふと・・・

私は一人っ子だから当然自分にきょうだいがいない。
母がいなくなったら、、、
本当にひとりぼっちになっちゃうんだ、、、って。

もちろん結婚して私にも家族ができて、3人の子供達だっている。

だけど、ひとりぼっちになっちゃうんだなぁって、、、云いようのない淋しさ。

この歳になっても親に心配かけてるんだよね。
のんびりゆったりした気持ちで、好きな事してお気楽に老後を送りたいよね。
本来なら送れるはずなのに、若い頃より今のほうが間違いなく心配かけてる。

自分の子供達が自分達から手を離れて初めてわかった事…
それまで頭で考えていた親孝行と本当の意味での親孝行。。。

親にとって何が嬉しいのか、どんな事に親として幸せを感じるのか。
形ある物のプレゼント、贈り物、、、もちろん、当然、嬉しいに決まっている。
けど、もっともっと心があったかくなって、嬉しい瞬間、幸せな時間がある。

情けないけど、自分は形あるものの贈り物はできない(ーー;)
心配もかけっぱなし
だけど、その分?それ以上に、時間見つけては、電話したり、せっせと会いに。

意識してそうするようにしたら、今まで考えた事なかったけど
往き帰りの車の中で、いろんな想い。肉親。一人ぼっち。。。

でも取り敢えず、みんな元気でいられますように。



9月26日


懐かしい人に会った。
会いに来てくれた、かな。

過去にしがみついて「あの頃はよかったねぇ」って、
思い出すたびにいつまでも言うのは好きじゃないし、これからも言うつもりもないけど
きのう今日は、想い出話しに花が咲き、昔を懐かしんだ。

会いに来てくれてありがとう。
本当に嬉しかったなぁ。

twitter、mixi…挑戦してみようかって。。。
その時は、あたしを見つけてねぇ〜(p_-)
待ってるからぁ〜!



9月12日


ガチョーン…また昭和の人が逝ってしまった。
今までで一番ショッキングな芸能人の訃報は夏目雅子だった。
会った事ももちろん無いし、熱狂的なファンだったわけでもないけど
あの時は本当にショック、だったな。

そういえば、

ちょっと前に、テレビでもやっていた「お葬式のありかた」
最近、知人ともそんな話しになって。

亡くなる前は悲しんだり辛かったりするけど、亡くなるやいなや
容赦なく事務的に物事が進んでいって、ゆっくりお別れもできないし、実感もわかないままあっけなく終わってしまう。
お葬式のありかたに疑問を持ってしまった。
知人はそう言ったんだ。

私も父を4年前に亡くして、その時に思ったよ。
今まで経験してきた親戚の立場として見送るのとは全然違っていた。
悲しみにくれている暇なんてないし、自分の想いとは関係ないところで物事がすすんでいく。
事務的に。

だけどお葬式のありかた、、なんだかなぁ〜って思ってしまうのは
きっと悲しみの中にいるごくごく身近な遺族だけが抱く想いなんじゃないかな、と。
喪主とその周りの限られた身内。

更にその周りを取り巻く親戚や親しい知人は、案外そういう感情は湧かず
一歩引いたところで故人を偲ぶ余裕みたいなものがあるように思う。
実際自分も今までそうだったし。

だいたい、悲しみにくれてるばかりでは、物事が進まない。
事務的でもなんでも仕切ってくれる人がいないと、仕切り方ややり方をもし知っていたとしても
とてもじゃないけど、遺族でなんてできっこない。

じゃぁ、親戚も呼ばず、ごくごく身内だけでやればって?
テレビでも賛否両論だったけど。。。

父が逝って、フツーに通夜と告別式をやった。
ウチの父は商売してたわけでもなく、人付き合いも苦手。
昭和一ケタ生まれの仕事一筋頑固でカタブツだった父。
亡くなった事を知らせた人もごくごくわずか。
だけど、実際フタを開けたらビックリだった。
父とは直接関係ない人も沢山来てくれた。
そのほとんどが私達夫婦のバイク仲間だった。
きっと父もどこからか見ててビックリしてたと思う(笑)

親戚の人もみんな帰って、あっけなく終わって、ホッとして、ドッと疲れた。
そこで初めて、父がいなくなったという現実と、家族だけであぁだったこうだったと父を偲ぶ。

思った。
自分達の悲しみとは関係ないところで容赦な進む状況に、最初はなんだかなぁって思ってたけど、
まぁ、例えば芸能人とか、故人の社会的立場、一般人でも故人の遺志、
それはもういろんなケースはあるんだろうけど、ウチはやってよかったな、と。

付き合いの浅い人も親戚の人達にも、故人を偲んでもらう場、みたいなもの。
そういう人達や、故人への一種のけじめ、というか、礼儀、というか、、
そういう意味で故人を見送る儀式は、のこされた者の務めなんだと、そう思った。
それらはそれで、意味もあるし、やってよかったと、そう思った。

父が亡くなってから、母との距離が縮まって、本当の母娘になれたような気がする。
この歳になってようよく、だ。
父の連れ合いとしての想い、私の母としての想い、
いろんな事、今まで誤解してた、知らなかったことがいっぱい。


住職さんが言っていた。
これからは、故人の話しをしてやることが何よりの供養だと。
それが悪口であっても。
思い出してあげる事が大切なんだと。

だから?今では好きな時に会える母と、生前の父の悪口で盛り上が!!盛り上がる!(笑)


だんだん歳を重ねると、今ではもうお祝いごとよりも、見送るほうが断然多くなっている。

最期のお別れでは、「お疲れさまでした」って合掌して見送ることのできる人と
悔しい想いで合掌、の人も何人もいた。

自分がもし逝った時は、そうだな、、お葬式をやるやらないはどっちでもいいし(笑)、形はどうであれ、
惜しまれる人でありたいなぁって思う。
どこでもいいから、どこかでそうやって偲んでくれれば嬉しいかなぁ。
そんな人になりたいね、自分。




8月20日


どうしてそんなにおっかない顔するんだろ。
そのスイッチがわからない…
っていうより、そのスイッチにいつもビクビク。
悲しい。



8月6日


ビルが立ち並ぶ、きらびやかな大都会の夜。
私は信号待ちをしていたんだ。
二輪停止線、隣には隼、ビッグスクーター、Z2。
後ろにも車がいっぱい信号待ちをしている。
都会の夜って賑やかしい〜なんて思いながら、、、、
信号が青に変わって、アクセル全開!!
ぶっちぎりで次の信号をひざをすりながら右折。
ぶっちぎった私が乗っていたバイクは、なぜかポケバイ(笑)
気持ちのいい夢だったわぁq(^v^)p



7月26日


この間、松本平に下りた朝見かけた光景。

踏切りで遮断機がおりて、開くのを待っている間、小学校2年生くらいの女の子かな、
お母さんに手を引かれて私の目の前の横断歩道を渡った。
お母さんは「行ってらっしゃい」って、つないでいた手を離して
お母さんは来た道を戻って行った。

女の子の向かう先には駅。

でも女の子は歩き出そうとはせず、お母さんの姿をずっと目で追っている、泣きそうな顔して。
お母さんは一度も振り返らずに歩いて行ったんだ。

あぁ、学校へ行きたくないんだな。

女の子は今にも泣きそうな顔してまだ立ち止まっている。
お母さんは見えなくなり、踏切りが開いた。
どうしただろ、あの女の子。
なぜか、ずっと
気になっている。

同じような事があったなぁ〜って懐かしく思い、
一度も振り返らなかったあのお母さんの気持ちを考えると切なくなるんだなぁ。



6月20日



お食事会

数日前、やっと!やっと!家族全員の予定が合って、何年ぶりかの会食。
末っ子の和馬は仕事が終わって即現地へ直行のはずが、
なぜかアパートへ一度帰ろうとした?、途中で車すれ違ったし。

子供達もいっぱしになると、まぁホントに予定が合わない!合わない!
この話しが出たのが4月初め、実現したのが2ヶ月後。
現地集合で、車も一人ほぼ一台計算で、見事にバラバラ。
さすがB型家族(笑)

あっ、一人A型がいた!
長女飛鳥の旦那だ!(^^)!

会食の会場は回らないちょっと高めだけど人気のお寿司屋さん。

子供達がセッティングしてくれた、銀婚式のお祝いの席。

久しぶりの賑やかな食卓。懐かしい光景。

末っ子の和馬が親元離れて5年。
あの頃のように、家族揃っての賑やかな時間をまた過ごせるって事が何よりも嬉しい。

年月経てば、成長するもんだなぁとしみじみ。
子供を育てる事の難しさを感じて悩んで苦しんでいた頃、こんな日がくるなんて想像もできなかった。
子供達がお祝いの席をプレゼントしてくれるなんて、考えもしなかった。

2ヶ月遅れの銀婚式。
幸せな時間はあっという間に過ぎちゃったな。

家族全員揃った時には、いつもプリクラを撮っていた上岡家。
前回の年賀状用プリクラ撮影の時は、嫁にいった飛鳥は抜けて4人だけだったけど。

相変わらずの構図。
飛鳥はとびっきりの笑顔。
その隣にほろ酔い顔の飛鳥の旦那。
長男涼は、すまし顔。
末っ子和馬はおどけ顔。

この日は、お寿司屋さんの個室で三脚立ててみ〜んなで記念写真。
やっぱり相変わらずのいつも構図。

幸せな時間。

頑張って生きていれば、いい事もあるもんだ。



4月24日


今年はプランターがまだ外に出せないでいる。
遅霜、なごり雪…
でも来週あたりからは大丈夫そう、かな。



4月5日


神奈川に住んでいた時はよく遭遇したけど、
信州に移り住んでからは、、、そういえば、無いかも。
信州には無いのか?
ジンチョウゲの香り。
懐かしい空間。





3月27日


去年からちょっぴり気になっていた。
携帯電話の字が見えにくい。
離すと見える…これって、やっぱりそうだよねぇ〜。
で、とうとう買ってしまった。
ずっとずっと2.0や1.5で、すっごい目がよかった私としては、メガネなんて無縁のアイテム。
老眼鏡(^_^;



3月7日

先週金曜日、松本から上がって来る時は大雨。
それは158をどんどん上がっても上がっても雪にはならず、乗鞍に着いても大雨。

雨になるくらいだから暖かい。
車の窓を開けてみたら、懐かしい匂いがした。
土の匂い。
春の匂い。
雪解けの頃、大地が顔を覗かせる時の、あの独特な土の匂い。
あぁ〜春になるんだなぁって、ほのぼのとする土の匂い、薫る風。

雨は土曜日も降り続いた。
だけど今はただただ無情の雨。

日曜日、朝起きたら景色は一変、雪が降り積もっていた。
あぁ、やっぱり今はこの景色が一番。

バイクに乗れるのは一年の中で半分しかないから、長い冬が恨めしくも思うけど、
それはそれで、バイクへの想いも特別なものになれるような気もしてる。

四季の移り変わりも、肌で、味覚で、特別なものとして感じられる幸せ。

春は待ち遠しいけど、やっぱり今一番「らしい」景色をもう少しだけ見ていたいかな。




2月18日


最近の出来事。

スパゲッティの量を、M、L、LL、の中から選べるお店へ友達と行った。
友達含めた周りの人達、ほとんどの人がM。
Mって通常の量…100グラムって事かな。
ウォッチングしてると、たまにLを頼んでる男の人がいる。
L…1.5倍かな。
私はもちろん LL よ! ハハハ

お店で買ったパンを店内で食べられるパン屋さんへ行った。
一人で入る女の人は皆、パン一個だけがのったトレーを持って席に着く。
私は、、、夕飯前の中途半端な時間だったから、
5〜6個は軽くイケるなぁと思いながらも、かなり控えて2個。

年齢を重ねて、昔のように大食いではなくなったのを自覚してたものの
そんな今でも、やっぱり人並み以上に自分は大食いなのかと再認識した一週間(笑)




1月29日

牛伏寺へお参りに行った。
牛の首が祀られている牛堂の前で手を合わせて
はぁはぁ言いながら長い階段を上がって
牛をなでて。
また、今年も無事過ごせますように。



1月18日

 
なんだかんだと1月も半分過ぎてしまった。

と、昨年も書いたような気がする(^_^;

2009年丑年、無事?に過ごせた事への感謝の気持ち。
昨年の暮れ、牛伏寺にお礼参りに行った。

でも初詣、今年は牛伏寺へはまだ行けていない。
来週は行こう。