「ツーリングクラブ52」との出会い
いつも一人で走ってた頃、箱根に行った帰りの西湘バイパスの料金所で一番右の赤いヘルメットをかぶっている青年(その当時はまだ髪がフサフサ状態、今では頭が相当ヤバクなってきたオジサン)に声をかけられて、「自分が入っているツーリングクラブがあるオートバイ屋さんに行こう!」と誘われ、そこも地元、寒川だった事から帰り道だし〜とホイホイ付いて行ったのが始まり(^.^)あの時声をかけてもらわなければ、オーナーとの出会いもなかったのだから彼は縁結びの神??
名前の由来
クラブ設立当時のメンバーの最低年齢と最高年齢を足した数が52だったそうな。
そしてその最低年齢の彼は私の小学校の同級生だった事は再会するだいぶ後になってわかった事。
その彼は私をよ〜くいじめていたから、お互いによく覚えていたのだナ。
その後中学は別々だったし会う事もなく、だから8年?10年?ぶりの再開でした。お仲人さん
上の写真の一番手前で茶色のスーツを着て○○コ座りをしているオジサマはクラブの会長さん。
のちにオーナーと私のお仲人さんになって頂いた人。今でも現役ライダーバリバリで、ありすのライダーのページにも登場してます。そして今も尚、その辺の若者には絶対に負けない走り!健在です。紅一点
このクラブと出会う前は「ただ走っていた」という私の走り。
この連中?は人の事などお構いなし、普通の道(平坦な)でもペースはかなりハイペースだけど、峠に入った途端、突如いなくなって、というか消えて行ってしまう(^^ゞ
そしてある程度行った所で皆を待つ。
もちろんのんびりと走っているメンバーもいるけど、そんな人は極わずか。
最初は「なんだぁ?この人達」と思いながらも、ついて行くのがなんだか楽しくなって来た私。
仕舞いには男のケツをあおる(失礼(^^ゞ)ってもっと楽しい〜!!
「アイツの走りは女じゃないべ〜!オッパラパーのパーコだべ〜!」と、今呼ばれている「ピーさん」の原点でもある「パーコ」の誕生だったのです。このクラブ、入る前に一度一緒に走って様子を見てから入っても、、、っていう人が時々いたけど、1回走ると「こんなクラブついて行けない」って大抵の人が懲りてしまう。男の人がそう思うのだから女の人は尚更だネ。女の人のメンバーは後にも先にも私一人。
とにかくいつも走っている。
休憩は自動販売機の前。
景色を眺めていい所だから写真、なんて有り得ないし、じっくり停まるのはお昼を食べる時だけ。
そんな走りをしていても皆で走っている時は不思議?と事故はなかったナ。最盛期には50人近くメンバーがいたんだなぁ。。。懐かしい。